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【平田鍛刀場】今もなお刀作りの伝統を守り続ける職人夫婦

国や地域のことを学びたければ、地元の人に尋ねるのが一番。インタビュー記事特集「People of Japan」では、日本のことをもっと身近に感じていただくために、国内で活躍している実業家や文化大使などをはじめ、高い志を持つ素晴らしい方々を紹介しています。今回伺ったのは、刀工の平田祐平(ひらた すけひら)さんと村下(むらげ)の平田のどかさんご夫妻です。伝統的な製法で日本刀を作る鍛刀場は減りつつありますが、お二人は今なお昔ながらの技術を守り続ける数少ない職人さんです。平田鍛刀場の現場から、職人夫婦が抱く日本刀への独自の思い、そして刀作り産業を盛り上げていくために掲げるミッションについてお届けします!

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平田夫妻が辿った刀の世界への道

今回のインタビューは、祐平さんとのどかさんの作業現場を見学させていただいた後に行いました。お二人が刀作りに多大な情熱を注いでいることは、すぐに伝わりました。作業をしていない時でさえ刀作りへの熱意と一途な思いは変わりません。とても気さくでフレンドリーなご夫妻のおかげで、我々もすぐに打ち解けることができました。

日本の職人は、孤独を好みそうなイメージを持たれがちですが、平田鍛刀場のご夫妻はそれとは真逆でした。お二人は、チームワークの良さや世界と繋がることを強みにしながら、それぞれの持つ技に信頼を置き、お互いを尊敬し合うことで円滑に機能する仕組みを作り上げています。我々が一緒に過ごした数時間の中でも、祐平さんとのどかさんは何度もお互いを称え合っていました。インタビューの際、ごくわずかな間隔を空けてはいましたが、寄り添うように座っていました。

もちろん、1人の人物としても素晴らしい経歴をお持ちで、それぞれ豊かな表現力で語ってくださいました。

平田祐平さん – 刀工としての強い意志を胸に

今は30代の祐平さんですが、プロの刀鍛冶としての道を歩み始めたのは高校を卒業した直後でした。学生の頃から剣道を習っていた祐平さん。その武術に魅了されたことをきっかけに、奥深く美しい刀の世界へ進みたいと思うようになったそうです。インタビューの途中に、昔のある出来事を思い出し語ってくれました。故郷の小平市からほど近い福生市の郷土資料館で行われていた刀剣展示を見た際、古刀の妖艶な美しさに魅了され、とても人の手で作られたとは思えなかったそうです。

ただし、プロの刀鍛冶は、願望だけではなれません。そもそも刀作り自体、習得するのが難しいとされているうえに、刀鍛冶の見習い期間は長く、その間賃金は貰えないことがほとんどです。何年も修行を積んで技術を身につける覚悟はできていたとしても、多くの場合は金銭面での困難から志半ばでやむなく諦めてしまうそうです。

祐平さんは、刀鍛冶になるために、住みやすい大都会東京を離れ岡山県の長船町への移住を決心します。小さな田舎町ですが、実は長船は何百年も前から刀鍛冶が盛んで、これまでに数々の高品質な刀を製造し続けています。その町で祐平さんは、日本刀の名ブランド「備前長船」の自家製鋼の名手である上田祐定(うえだ すけさだ)刀工に弟子入りし、13年間修行に励みました。

下積みの頃について伺うと、好きだからこそ耐えられたけど、厳しかったことは今でもはっきりと覚えているそうです。祐平さんにとっては、自身の職人気質に合っているので全て経験できて良かったとのこと。ご本人曰く「刀を製造する過程は毎回違います。刀を作るたびに、今回はどんな仕上がりになるのか、その都度期待が高まります。それが刀作りの醍醐味で、とても魅力を感じています!」

祐平さんの絶え間ない努力と根気が実を結び、現在では国内に130人存在する刀工の1人としてご活躍されています。

平田のどかさん – 村下としての運命

岡山県といえば、祐平さんがのどかさんと出会った場所でもあります。岡山で生まれ育ったのどかさんは、まさか村下(刀の原料となる玉鋼(たまはがね)を作る職人)になるなんて思ってもいませんでしたが、祐平さんとの出会いをきっかけに新たな世界が開かれたそうです。

村下については、何の知識もなかったにも関わらず、なぜか心惹かれるのどかさん。後になって、自身に村下の血が流れていたことを知るのです。ある日、実家で昔の資料を整理している時、曽祖父が村下であったことが判明!その時、「これは運命だ!」と思ったそうです。

のどかさんは、村下になるための特別な修行は行っていません。今ご本人の持つ全ての技術は、夫の祐平さんから学び、伝統的なたたら製鉄を自社で行なっています。最初は、製鉄を学びながら、雑用から運営などできることを手伝い始めました。そこから徐々に祐平さんの下でたたら製鉄の作業に加わり、5年間日々練習と勉強を重ね、やっと一人前の村下として仕事を任されるようになったそうです。

「夫の力になりたくて、この道を選びました。彼にとって扱いやすく、平田鍛刀場の独自の刀作りに適した鋼を作りたいと思って。最初は大失敗して、でも、それでさらにやる気になりました。負けず嫌いなんです!」と、笑いながら教えてくださいました。

のどかさんにとって製鉄は、試行錯誤の連続です。どんな作品作りにも共通しますが、製鉄にもそれを行う職人の人柄が、欠点や美点なども含め、顕著に現れます。「鋼は嘘をつきません。」のどかさんは、インタビューの際に何度もこの言葉をおっしゃっていました。「刀は純粋に人間が努力した結果の現れであって、たくさんの苦労を経て得られるご褒美。なので、鋼に欠点があるのは、その職人に欠点があるということ。」

今では日本唯一の女性の村下として従事されているのどかさんですが、そこに至るまでには度重なる苦労があったはず。それについて伺うと、そのような困難は気にしていないとのこと。「だからこそ、刀は特別。人の感情や努力が染み込んでいるのです。」

平田鍛刀場の誕生

まだ岡山県にいた頃、お二人はあることに気づきました。刀を製造するだけでは物足りない!「日本刀作りに対する自分たちの独自のアプローチを世界に発信していきたい、という思いが芽生えました。それを行動に起こし、東京で一緒に起業することにしました。」と祐平さん。

お二人はすぐに平田鍛刀場に合いそうな立地を探し始めました。しかし、大量の煙と騒音を伴う作業場を住宅街に作るのは至難の技です。そうなると、静かでアクセスの良い立地を探すことがポイントになってきます。

最終的にご夫妻は青梅市に目を付けます。祐平さんの地元からほど近く、東京郊外の緑豊かなロケーションです。地元の方も暖かくお二人を支援し、彼らが気に入った土地の地主さんを探して連絡までしてくださったのです。そして祐平さんがバイクに乗っていた時に、偶然見つけた土地が今の平田鍛刀場になったそうです。

運命的な出来事はさらに続きます。地主さんによると、この一帯には、かつて山城が建てられ、そこには刀鍛冶が住んでいたとのこと!それを知ったお二人は「もうここしかない!」と感じたそうです。

地主さんから許可を得ると、お二人は自らの手で1年間かけて鍛刀場を建てました。そして2019年、ついに平田鍛刀場が開業となりました。

日本刀作りに対する独自の思いを世界へ発信

祐平さんとのどかさんは、それぞれの技術を自由に表現できる空間をやっと手に入れたのです。ここから始動した活動は、数年後には刀の世界に新たな潮流を巻き起こすことになるのでした。

祐平さんは、チョークに手を伸ばし、たたらの側面を黒板代わりに漢字を書き始めました。平田夫妻が刀作りの際に常に心に秘めていることは、意外な内容でした。「この道に進んだ当初、刀はただカッコいいものとしてみていました。でも、勉強すればするほど、製作すればするほど、もっと重要なことに気づいたのです。最近では、時代劇の影響で刀は人を殺すための武器というイメージになっています。本来、刀は命を尊重するための道具であるという概念が忘れられつつあるのです。」

平田鍛刀場を設立したことで、この大切なことを広めることもできるようになったのです。日本刀の本来の意義について人々に知ってもらいたいという思いが、チョークで書かれた一文字に込められています。「”武”という漢字を見ると、2つの文字の組み合わせになっていて、”戈(ほこ)を止める”と解釈できます。自分を守ためにあるもので、攻撃が目的でないことがわかります。これこそが本来の日本刀の精神なのです。」

自社でたたら製鉄の腕を磨く傍らで、工房の運営にも携わっていたのどかさんは、マネジメントのノウハウを活かしてソーシャルメディアでのプレゼンスを確立することにも一役買いました。これまで忘れられていた刀の本来の意味合いや、平田鍛刀場の独自の思いなどをより多くの人に広められるようになったのです。その甲斐あり、フォロワーも急激に増えました。近年では、海外フォロワーの増加に伴い投稿に英訳を添えることも始めました。更に、海外からの購入者向けに英語版のホームページも開設することに!

我々も、平田夫妻のことを知ったきっかけがソーシャルメディアであることを伝えると、のどかさんは満面の笑みを浮かべました。「平田鍛刀場のやり方にこんなに多くの人に興味を持っていただけるのが嬉しいです。」とのどかさん。「日本刀について興味を持ってくれているたくさんの人とお会いできるのがとても幸せです。より多くの人に刀の本質を知ってもらいたいです。」

自分達が抱く日本刀への独自のアプローチをもっと広めたいという気持ちは、ソーシャルメディアでのフォロワーさんとのやりとりや、お客様との接し方からも伝わってきます。例えば、お客様とはオンラインでミーティングを行い、直接お話を伺うことで個々の好みや要望を理解するようにしているとのこと。刀の世界でここまで手厚いのは珍しく、特にハードルが高くなりがちな海外の刀ファンにとっては嬉しいサービスです。

これまでの体制を内部から改新していく

古くから伝わる伝統的な製法で刃物を製造されている平田鍛刀場ですが、これからの未来を見据えて、この産業を再び活性化させ、良い方向に変えていく手段を模索されています。

のどかさんは、今後もっと多くの女性職人が参入することを願っています。「私は日本で唯一の村下です。全体的に考えても、刀作りに従事している女性は片手で数えられる程しかいません。今までは、一部の作業は男性にしかできないとされていました。」

圧倒的に男性が多いこの業界で、のどかさんはただ単に受け入れてもらうだけでなく、自ら率先して模範となり業界の改革を進めようと人一倍努力されています。「当初、プロ(の村下)になろうとした時、男性の世界に身を置くことに対しての先入観はあまり持っていませんでした。まさかこんなに偏見があるなんて想像もしていませんでした・・・。やりたいという一心で自分の役割を全うしてきました!もちろん、業界が変わっていくことを前向きに捉えてくれる人もいました。でも、もっと保守的な方にとっては、変化を受け入れるのはなかなか難しいことです。」

のどかさんは、若い方に、女性であってもその意思さえあれば村下の道に進むことが可能であることを自らがお手本となって示そうとしています。刀作りの世界に女性職人ならではのアプローチを取り入れることの利点は多く、プラスの変化をもたらす。そう信じているのはのどかさんも祐平さんも一緒です。

一方で祐平さんは、刀作りに携わる全ての職人さんにとって、より持続可能性の高い体制を構築することを目指しています。「刀の製造には、刀装具を作る方から製鉄に欠かせない木炭業者まで、ものすごい数の職人が関わっています。それぞれの職人が”我れ先に”となるよりは、みんなで一丸となってこの美しい日本刀の伝統を守る方がいいと思います。人々が繋がり、海外にまで日本刀の知識を広められれば、いつかより多くの職人に一定の仕事を依頼できる日が来るのではないかと考えています。さらに、まだ修行中のお弟子さんであっても十分な報酬を得られるようにできたらと思っています。」

この伝統を引き継ぎたいと思う若手職人は少なく、そのうえこれまで以上にお客様の数も減少し続けています。産業の存続のことを考えても、これらの変化は今後必要不可欠になってくると祐平さんはおっしゃいます。

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平田鍛刀場 – 刀作り業界の存続をかけてのチャレンジ

祐平さんとのどかさんは、自らの存在と活動を通じて刀の世界の常識を少しずつ変えています。日本旅行をする方、そして日本刀にご興味のある方は、ぜひ平田鍛刀場にお立ち寄りください。無料見学会や予約制の体験会なども開催されているので、ご夫妻から直々に刀について教えていただけますよ!お二人の人柄にも触れられる貴重な経験になることでしょう。

この記事に掲載されている情報は、公開時点のものです。

ライター紹介

Stefania
Stefania Sabia
イタリアで生まれ育ち、10代の頃をアイルランドで過ごしました。現在は東京に住み、伝統的な日本や隠れたスポット、レトロな美的感覚を持つものを探索するのが好き。子供の頃から日本文化に憧れていたため、来日後は日本を探検し、その美しさをインスタグラムで紹介することを使命としています。
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