千年の伝統を受け継ぐ女性素潜り漁師「海女」を訪ねて

長い伝統を受け継いできた女性潜水漁師「海女(あま)」。彼女たちが身を置くのは、女性自らが身を立てる為に苦労を重ねてきた海の世界です。白装束に身を包んで深い海の底に立ち向かい、千年の歴史で培われた知恵と強さで何世代にも渡って若い女性たちに勇気を与えてきました。その活動は大きな尊敬に値するでしょう。今回、私たちが東京を離れて車で向かったのは、海女小屋「さとうみ庵」。海女文化が深く根づく三重県志摩市で、実際に海女として活動されているみゆきさんにお会いしてきました。プロとしての熱い情熱で私たちの心を掴み、海女の伝統や現在の日本で海女として生きることの意味、そしてその難しさについて、みゆきさんは語ってくれました。

三重

日本文化

海女とは?勇猛な海の女性たちの歴史

みゆきさんは海女小屋で私たちを迎えてくれました。伝統的な白いヘッドスカーフで髪を覆い、広い海が見える窓の前に立ったその姿からは凛とした美しさが感じられました。
「海の女」と書いて「海女(あま)」、日本で昔ながらの素潜り漁をする女性のことで、彼女たちは水深25メートルまで現代的なスキューバの道具を使用せずに潜ります。さらには一般的な釣り具なども使わず、自らの手で貝、アワビや海藻、そして真珠などを採るのです。

みゆきさんは、海女たちが採った新鮮な地元の海の幸を私たちの昼食として準備してくれました。炭火の上に海産物を並べはじめると、たちまち小屋は美味しそうな香りに包まれます。そして、みゆきさんは海女としての暮らしや先人たちのお話をこの素敵な場所で語ってくれました。「海女には2000年とか3000年もの歴史があると言われています。ピラミッドの時代にはもう海女は存在していたということですね。」

三重県の浦村という地域では、海女が使ったとされる大量のアワビを採るための道具(アワビオコシ)やアワビの殻が発掘されました。これらは約3000年前のものとされ、その頃にはすでに海女が存在していたことを示唆しています。また、759年以降に編纂された日本最古の歌集である「万葉集」の中でも海女の歌がたびたび詠まれています。さらには平安時代(794~1185年)の最重要文学の1つであり、1002年に完成した「枕草子」にも海女は登場します。奈良県にある平城京跡の遺跡からは、745年の年号が記された木簡が出土し、その他の歴史的な書物のいくつかにも、古くから海女が日本の都や伊勢神宮に多くの食糧を納めていたということが記録されているのです。

ある伝説によると、太陽神である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を三重県にある伊勢神宮に祭ったとされる古の日本の皇女「倭姫命(やまとひめのみこと)」が三重県の鳥羽の辺りを訪れた際、「おべん」という名の海女から差し出されたアワビの味に大変感動したとされています。それ以降、アワビは伊勢神宮に献納されることとなったのです。

海女の栄誉は、皇族や朝廷のために海産物を採る仕事をしていたということだけではありません。日本で最も神聖な祭事に供える食糧「御贄(みにえ)」としてアワビを奉納することで、重要な役割を担っていたという点も評価されているのです。また、アワビは神社の参拝客に提供する食事としても使用され、お土産にもなったのです。

明治時代(1868~1912年)以前は真珠を採る海女業は珍しいとされていました。しかし、近代になると海女の歴史と三重県で最も有名な宝石の歴史とが深い関わりを持つようになります。1893年、御木本幸吉は真珠を養殖するための技術を発明し、三重県鳥羽市に高級真珠店を開業します。その後、海女を雇用し、彼女たちの深い知識を事業に活用することで、世界的な企業へと発展していきました。

海に潜るときの海女の伝統的な装いは、もともと「ふんどし」や腰周りを隠す衣類とヘッドスカーフのみでした。次第に真珠業が栄え始め、外国人客が作業を見学しに来るようになると、「磯着」と呼ばれる伝統的な体全体を覆う白装束を身につけるようになりました。白が採用されるようになったのは縁起のいい色であるということ、そして水中にいるときに人を大きく見せられことで、サメなどのどう猛な水中生物から襲われるのを防ぐという意味合いもあります。やがて1950年代にウェットスーツが普及すると当時の海女はそれを取り入れ、一眼メガネ(磯メガネ)もあわせて使用することで、水中でより効率的に過ごせるようになりました。

数千年もの間で変わらないのが、海女の独特な呼吸法です。呼吸法について尋ねると、みゆきさんがこう教えてくれました。「私は30秒間くらい潜っていられます。でも、3分間息を止めていられる海女もいるのですよ。」

海女はハイパーベンチレーション(過換気)という呼吸法を習得しています。深く息を吸ってから潜り、潜水から戻ってくると「磯笛」と呼ばれる長い口笛の音を鳴らしながら息を吐くのです。この独特な呼吸法は何世代にもわたって先輩の海女から若い海女へと受け継がれています。この呼吸法により肺への負担を防ぐことができるそうです。ちなみに、1996年には日本の環境省が指定する「残したい日本の音風景100選」に磯笛が登録されました。

海女の過去と未来 ~強さと自立、女性に勇気を与えてくれる彼女たちの存在

海女は海と共に暮らし、大きな恵みと脅威を併せ持つ自然と共存してきました。女性は男性と比べて皮下脂肪が多いことから、より長い時間、非常に低い海水温に耐えられるとされていました。だいたい12才頃から訓練を始め、70代や80代まで現役でいることが多く、健康な方が多いのが特徴です。

海女が頼りとするのは、先代から引き継がれてきた技術と知識のみです。彼女達は海産物を求めて海の底へ潜水することで、高い収入を得てきました。みゆきさんとの昼食のコース料理の際、「家庭に海女がいるということは、豊かさや繁栄と同義だった」という話しを聞きながら、私達はサザエを頂きました。大きな尊敬と報酬を受けられる役割を担っていたため、家族はその伝統を守っていくことを誇りに思ったそうです。そのため、女性を家庭内にとどめるよりも、専門技術を習得させようとしていたのです。

多くの日本人女性が仕事を持つことやライフスタイルについて決めることを許されなかった時代でも、海女は自ら身を立てていました。そして、地元のコミュニティで活躍し、重要な役割も任せられていました。
「海女が自分たちの能力や専門技術を使って成し遂げてきたことは素晴らしいことです。このように独立した女性をとても尊敬しているので、私自身も海女になろうと思ったのです。」

みゆきさんのように先人たちの功績に刺激を受け、伝統を受け継いでいこうと思う人々はまだいるものの、やはり海女の数は減少しています。鳥羽市立海の博物館の調査によると、1956年に17,611人だった日本の海女の数は、2010年には2,174人まで減少しました。その半数は三重県の鳥羽市や志摩市で活動しています。

海女文化の存続が危機に瀕している要因は複数あるようです。高齢化や若い世代から関心が減ったことが一因だといいます。漁業の現代化と商業化、それに伴う海洋資源の減少と海女業の必要性の見直しも、海女として生きていくことをより難しくしています。また、変化していく海洋環境や海面温度の上昇は、貝の生息に重要な役割を果たしている海藻に打撃を与えます。その影響は海女が採るアワビの数の深刻な減少を招くほどなのです。

「現在では、海女の仕事だけで生活するのはとても難しくなっています。でも、自然を守るんだ、将来世代のために海を保存するんだ、という信念を持ちながら私たちは活動しています。本当に必要な分だけを採ることで海との調和を保ち、自然保護を念頭に置いて活動することで、海女文化を残すことができると信じているのです。」

みゆきさんは、海女のサステナブルな漁業スタイルこそが問題の解決につながると考えています。乱獲は自分たちの生活を支える生態系に悪影響を及ぼすことから、一度に海洋資源を採りすぎないというルールを何世紀にも渡り海女は守ってきました。同時に、採る貝の大きさや使用する道具にも基準を定めることもしてきました。現在では、海の保全のための方針が政策により定められており、漁業の季節、貝の大きさ、海女業が行われる海域における一日あたりの漁の頻度や時間などが、法律により制限されています。

女性の素潜り漁の慣習は、世界的に見ても日本と韓国以外ではほとんど見られません。近年、何千年にもわたって漁の方法が変わることなく受け継がれてきたこの海女文化は、世界的にも注目を集めはじめていて、2017年には日本の重要無形文化財として指定されました。この貴重な伝統を守り、世界の人々にも知ってもらうために、日本の海女(あま)と韓国の海女(ヘニョ)をUNESCOの無形文化遺産に登録しようという試みが現在進行中です。

三重県志摩エリアで海女と会い、貴重な人生経験についてのお話を聞いてみませんか

ここ数年に渡り、海女の存在は地元コミュニティの活性化をもたらし、外国人観光客は日本の穴場スポットとして人気を集めています。海女は志摩観光の目玉となり、観光PRポスターやパンフレットに海女のイラストが描かれることも出てきました。志摩市観光協会によると、2018年の観光客数は9,000人を記録したそうです。

目の前に豊かな海が広がる海女小屋「さとうみ庵」は、海女漁の振興を担っている施設です。ここでしか見ることのできない海女の漁業コミュニティや文化を体験し、志摩のぜいたくな海鮮物をを味わうことができます。「海女小屋」は漁の前後の準備や食事、休憩、火を囲んで暖まったりするために海女たちが集まる場所です。素朴で居心地が良く、海女の生活そのものに触れることができます。そして、地元の人たちのエネルギーや暖かい人柄まで感じられる場所でもあるのです。

採れたてでたっぷりの海鮮料理は海女小屋の魅力ではありますが、それはほんの一部に過ぎません。魅力の大部分を占めるのは、その場の雰囲気と本物のふれ合いです。私たちはまるで地元コミュニティの一員であるかのように感じながら、みゆきさんと囲炉裏を囲み、人生や海での貴重な体験についてお話に耳を傾けながら過ごすことができました。

海女たちの伝統とストーリーを学びましょう

海女たちは、およそ3000年にわたり、素潜り漁の伝統を実践してきました。海の幸を求めながら、危険と隣り合わせの生活を送ってきたのです。海女たちの知恵や粘り強さは、現代の生活にも役立つヒントがあるはずで、大切に受け継いでいくべきものでしょう。皆さんも、海女たちの生活についての貴重なお話を聞きながら、美味しい海鮮料理を味わってみるのはいかがですか?エネルギーに満ちた彼女たちは美しい心持ち主でもあり、きっと居心地の良い時間を過ごせることでしょう!

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Stefania Sabia