• その他
  • 豆知識

これを知ればさらに楽しくなる!日本のお城の豆知識

日本にはたくさんのお城がありますが、みなさんはお城についてどんなことを知っているでしょうか?今回は、知ってるようで知らない「日本のお城」を、より一層楽しむための豆知識をご紹介します。

tsunaguJapanライターお薦め観光コンテンツはこちら!

この記事にはアフィリエイトリンクが含まれている場合があります。アフィリエイトリンクを経由して購入された場合、あなたからの追加費用なしで私たちはコミッションを得る可能性があります。

1. お城の歴史

金の鯱(しゃちほこ)で有名な「名古屋城」、日本第二の都市、大阪のシンボル「大阪城」、白亜のお城「姫路城」などなど、日本には全国各地にたくさんのお城があります。ここではそんなお城の歴史をご紹介します。







名古屋のシンボル「名古屋城」

始まりは約2000年前

お城とは、敵の侵入を防ぐために築かれた大規模な建造物を指します。その歴史は古く、紀元前300年頃~紀元後300年頃まで続いた「弥生時代」に端を発します。「日本100名城」にも選ばれている佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」では、弥生時代後期には大きなV字型の外環壕で囲まれ、大型の建物があったことが分かっています。

戦国時代にお城の数がピークに

戦国時代(1467年~1568年)は、その名の通り、数多くの戦が行われた時代。多くの戦国大名(領国をもつ殿様)がまさに群雄割拠し、全国各地に実に大小合わせて2万5000ものお城があったと言われています。

tsunaguJapanライターお薦め観光コンテンツはこちら!

お城の破却

1600年の「関ヶ原の戦い」で勝利した徳川家康が1615年に制定したのが、一つの国に一つのお城を残して、それ以外は全て廃城にするという「一国一城令」。これにより、多くの城が破却されました。更に、江戸幕府が倒れた後も明治政府により、残りの多くのお城も解体されました。

Klook.com

2. お城の数

戦国時代には全国各地に2万5000もあったとされるお城も、「一国一城令」、火災などによる焼失、「廃藩置県」などにより、その多くがなくなりました。今では、現存する天守閣をもつお城はわずかに12城のみ。それ以外の「大阪城」、「名古屋城」などは、実は復元された天守閣です。







大阪のシンボル、「大阪城」は、天守閣の詳細な資料が見つからないため、ほかのお城を参考にして造られた「復興天守」

3. 当時の姿のまま現存する国宝5城

天守閣が現存する国宝のお城は、以下の5城で指定されています。いずれもその荘厳さ、建築美に心打たれることでしょう。
「国宝」
・松本城(長野県松本市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・姫路城(兵庫県姫路市)
・松江城(島根県松江市)







上段左が「彦根城」、右が「松江城」、下段が「姫路城」。







左が「松本城」、右が「犬山城」。

4. 当時の姿のまま現存する重要文化財7城

天守閣が現存する重要文化財のお城は、以下の7城で指定されています。国宝とあわせてお楽しみください。

「重要文化財」
・弘前城(青森県弘前市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・松山城(愛媛県松山市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・高知城(高知県高知市)







上段左が「弘前城」、右が「丸岡城」。下段左が「備中松山城」、右が「松山城」。いずれも重要文化財







左が「宇和島城」、中央が「丸亀城」、右が「高知城」。

tsunaguJapanライターお薦め観光コンテンツはこちら!

5. お城にまつわる豆知識

天守閣は物置だった?

天守閣は、殿様が住んでいたイメージがありますが、実際は「御殿」と呼ばれる専用の平屋建ての住居に住んでいました。戦のとき以外の天守閣は、武器などを保管する物置として使われていることも多かったようです。

熊本城の階段は登りにくい?

熊本城の階段は登りにくいのが特徴。階段の高さや長さをわざと歩きにくい寸法で作り、1段1段の高さなども違うため、歩幅を頻繁に変える必要があるのです。これは、攻めてきた敵の進行を少しでも遅らせるため、と言われています。

名古屋城の鯱には雄と雌がいる?

名古屋城の金の鯱は、北側が雄、南側が雌なんだそうです。また、その大きさも微妙に違い、雄が高さ2.621mなのに対し、雌は2.579mと少しだけ小さく、重さも雄が1,272kg、雌が1,215kgと雌の方が軽め。また、うろこの数も違いますが、こちらは雄が112枚、雌が126枚と雌が多く造られています。

Klook.com

大阪城には巨石がある?

大阪城の石垣には、びっくりするほど大きな巨石が使われています。「大手門枡形」、「京橋口枡形」、「本丸桜門枡形」などで見ることができます。どこからどうやって運んできたのか、想像してみるのも楽しいかもしれませんね。

天守閣は、織田信長が採用したことで日本全国に広がった

よく勘違いされがちなのですが、お城と天守閣は違います。お城とは先に説明したように、防御を目的とした建造物。天守閣とは、分かりやすく言うと、城のなかにある高層建築物です。この天守閣には城内外の監視にも役立ち、戦で有効に戦えるなどのメリットもありましたが、権威の象徴的な意味合いも大きかったとされています。本格的な天守閣は、安土桃山時代(1568年~1603年)の名将・織田信長が琵琶湖東岸に建てた五層七階の巨大な「安土城」が始まりで、ここから全国各地に広がったとされます。

いかがでしたか?観光名所のお城も事前に少し調べてから行くと、もっと楽しめるかもしれません。ぜひ今回の記事を参考にしてみてくださいね!



この記事に掲載されている情報は、公開時点のものです。

ライター紹介

W.JAPAN
W.JAPAN
  • tsunaguJapanライターお薦め観光コンテンツはこちら!